どう生きるかの話 2

東野圭吾の頭にある「人生の可能性」とは、小説を書くということである。作品の質は別にして、頭がまともなうちは創作活動はできるわけで、作家のみならず、モノを作る芸術家には俗にいう定年、リタイヤはない。自分の前に道は果てしなく続いているが、加齢からくる知力、持続力、創造力の衰えで以前のようには進めない。「どうしよう」。と感じて自分の引き際を知る。

だが、普通のサラリーマンのような職種では、ある日を境に仕事がなくなり、考える必要がなくなるときが必ず来る。言ってみれば、今まで長い間歩いてきた道が突然なくなるわけである。趣味ももたず、日々仕事の重責を担って走ってきた企業のトップの方が引退してすぐ認知症になったり、うつ病でしぼんでいくという話はよく聞く。一方、若い時から仕事と趣味をきっちり分けて人生を歩いてきた人たちもいる。こういう方たちはたとえ仕事の道がなくなってもまだ道が残っている。

人生100年時代と言われる昨今、定年を迎えてからの人生を「余生」などとは位置づけられなくなってきている。死ぬまでの人生を考えた時、出世の階段を登り名声も財も成した人と、人生の糧を得るためとそこそこの仕事をして、好きなことに注力する方々。どちらが幸せなのだろう。

rocketboy2 について

合成化学と薬化学と天然物化学を生業にし、それらを基盤にしたビジネスを展開している。
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