譲れない理由

大学院生の頃、講座の秘書からこんな話をきいた。山登りが趣味の彼女の兄が結婚式を間近に控え、親戚へお披露めするため1週間の登山から自宅に帰った。親戚はあまりにも汚ない彼の姿をみて口々にからかった。そんな中、婚約者は何も言わずただ親戚の言葉にうなづき笑っていたそうだ。翌日、その山男は突然婚約を解消した。親戚はなじったが彼は最後まで理由をいわずに沈黙を通した。妹であるその秘書は「男にはどうしても譲れないことってあるんでしょ?」と笑った。そのとき僕には正直意味がわからなかった。

私の夢は大学で研究を続けることだったが、その夢はかなわなかった。傷心のままある民間企業の研究所に勤めた。しかし夢の消えた生活はひどく荒れ、家族にはずいぶん悲しい思いをさせた。それでもやっと自分の居場所を見つけはじめたころ、大学時代の指導教官が教授に昇進して助教授を探しているという話が聞こえてきた。幸か不幸か会社の上司がその教官の知りあいだった。「T大の助手には断られた。K大、T工大の講師にも嫌われたそうだ。なかなか決まらないぞ。たいへんだ」こんな助教授選考の裏話をきかされるようになった。

ある時上司が私に言った。「君が大学に戻りたいことはわかってる。今の状況だとそのうちお呼びがかかるだろうな。だけどお目当てからはすべて断られている。それは彼の研究が一流じゃないからだ。会社に留まったほうが君のためだ。当社の技術顧問は学界に影響力のあるT大教授だからね。そこの助手に断られているのだから、倫理的にもまずいよな。」あまりに強引な牽制に困惑した。数日後突然その教授から電話があった。「教授になったらおまえを助教授にしようと決めていた。待たせたな。大学へもどってこい。」電話口の声は弾んでいた。彼は如何に自分が私を必要としているかを話しつづけた。複雑な思いだった。上司からの情報だと、私は助教授の泡沫候補だったのである。何で見え透いたことをいうのだろう。悩んだ末、丁寧な断りの手紙をかいた。その教授は驚いて電話をかけてきた。「大学はおまえの夢じゃなかったのか。会社にはいって高給とったら大学なんてちゃんちゃらおかしいのか。おまえも変わったなあ。」

「僕の夢は10年前と何ひとつかわっていません」という言葉を飲み込み、電話口でただ謝りつづけた。断ったのは、僕が最後に声をかけられた最低候補だからではない。でもどうしても譲れない小さなこだわりが「はい」とは言わせなかった。

やがて私は人当たりはいいが保身しか頭にない上司と仕事を続けるのが苦痛で会社をやめた。数年前、その教授が定年退官を迎えた時、人づてに「私だけは絶対に退官記念には呼ばない」と言ってると聞いた。今でも要請を断ったことを根にもっているのだ。この教授と上司が口約束で毎年入社させてきた大学や講座の後輩たちを誰がフォローアップしてきたと思っているのだろう。大学人特有の世間知らずさにただ笑うしかなかった。

後日友人から見せられたパーティの写真をみて驚いた。そこには卒業生に囲まれてご機嫌の教授の隣に何とかつての保身の上司が満面の笑みをうかべて座っていた。

世間でいう大人の付き合いとはこういうものなのだろう。私は多くを譲ってこなかった。あの上司のようにうまい世渡りはできなかった。だから誤解もされたし疎まれもした。けれどあの山男の気持ちだけはよくわかるようになった。彼はあの時、婚約者からの一言を待っていたのだろう。それがなければ自分は前には進めない一言だ。どうしても譲れなかった男の気持ちが私なりに理解できるのである。(2010/4/20)

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