孤独のグルメ 36

この項で何度も紹介してきたが、僕は今まで8年余り、出張の度に必ず飛騨古川の蕎麦の名店「なかや」でランチを食べてきた。だがまだ一度も夕食をいただいたことはなかった、今回、やっと念願がかない「なかや」で夕食を取ることができた。

ここは夜の営業は不定期で、予約しておいたほうが良いそうだ。僕は、まず蕎麦焼酎の蕎麦湯割から始めた。ここの蕎麦湯は濃いので、かきまわすためのスプーンがついてくる。

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「あて」として頼んだのは、牛筋の煮込み、こも豆腐、にしんの棒炊き、野草の天ぷらである。どれもこれも素朴だがうまい。

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今夜のメイン・イベントは、もちろん蕎麦をあてに蓬莱の「ぬる燗」を飲むことだ。僕は、冷では蓬莱の吟醸が大好きだが、ぬる燗には断然、上撰(本醸造)が良い。

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今夜は寒く飛騨には深々と雪が舞っている。ぬる燗にした。

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もり蕎麦には辛子大根をふんぱつした。わさびとは一味違う。酒の友にはまた格別である。僕は幸せで贅沢な夜を満喫したのである。

 

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バタークリーム・ケーキ

人には誰でもあまり大きな声では言えない変わった嗜好があるものだが、僕は不二家のバタークリームのクリスマスケーキが大好きである。子供の頃、クリスマスイブの朝、家のガレージにおいてあるケーキの箱をこっそり開け、箱の端っこや上についているバタークリームを手でそっとすくって食べた時の後ろめたさとうまさはまだ記憶に残っている。

さらに、2-3日経過して表面のクリームが硬くなってしまった状態のクリームを少しずつ崩して口に中で溶かすのも大好きで、これがもう至福の時間だった。だから、社会に出てからは、わざと25日が過ぎて売れ残り、やや硬くなり、半額になったクリスマスケーキを買って食べたものだった。しかし、バターの高騰と健康志向のせいだろうか、米国在住している間に、日本でのバタークリームケーキは市場の地位を失い、代わりに甘さを抑えた、上品な生クリームケーキが全盛になってしまった。

ついでながら、米国の庶民の間ではまだまだ巨大かつ毒々しい原色でものすごく甘いバタークリームケーキが主流である。

僕にとっては口に入れるとすぐ消える生クリームの触感は、ただただ情けなく、はかないだけだった。加えて、ケーキ生地も生クリームにあわせるかのように、これまた柔らかいシフォシフォンケーキや「ふにゃっ」としたパウンドケーキ。情けなさの2重奏は食べると悲しくなるのである。

そんなわけで、今年のクリスマスも僕は「ペコちゃん」が微笑む昭和レトロの不二家のバタークリームケーキを食べる。

 

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ヒラリスト 7

先日行われた大統領選ではヒラリー231、トランプ290でトランプが過半数の270を超えた。それ以降、日米では次期トランプ大統領の話題で過熱している。

投票前までは、もしトランプが勝てば株は下落、円高が加速などと恐ろしい予測が飛び交ったが、そいう予測は全部外れた。地震予知と同じで、今まで、マーケット・アナリストの予測が当たったためしはなく、何でそうなったのかというつじつまあわせの事後説明だけである。そこまで論理的に説明するなら予測に活かせよと皮肉のひとつも言いたくなるが。

さらに集計が遅れれていた数州で票が確定し現時点では232と306とその差はさらに拡大している。しかしよく考えてみると、11月8日に選出されたのは、「次期大統領」ではない。全米50州と首都ワシントンD.C.に「次期大統領を選ぶ538人の2党の選挙人」が割り当てられただけである。

この選挙人が12月19日に投票を行い、過半数の270票以上を獲得した候補が次期大統領となる。はたして共和党の選挙人全員が代表候補であるトランプへ投票するのだろうか?不明である。ヒラリー陣営は各地でトランプへの大規模な抗議活動を行い「選挙人はヒラリーに投票せよ」と訴える署名活動により既に約455万人が署名したそうだ。

もし538人の選挙人の内、トランプに投票する者が過半数の270人を下回れば、つまり共和党の選挙人36人がヒラリーに入れるか、白票を投じれば、最終的な決着は連邦議会の下院に委ねられる。

まあそんなことが起きることはないだろうが、誰もがジョークト思っていたトランプが大統領に勝利したのだから、最後にそういう予想外のどんでん返しがあってもおかしくはない。ヒラリーが大統領となる可能性はまだゼロではないのである。ヒラリストの一縷の望みなのだが。

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蓮舫の闇 2

僕は最近持ち上がった蓮舫議員の2重国籍疑惑に関して「蓮舫の闇」という文章を9月15日の本ブログに書いた。概要は、「日台のことはわからないが、少なくとも日米では重国籍は違法である。しかし黙っていればわからないので、日米の2重国籍を持っている確信犯もいる」という内容であった。最近、これを読んだ方から以下のようなコメントをいただいた。

大丈夫ですか?読解力がないようですが、本人の意思に反し生まれながら米国籍を持ってしまった二重国籍保持者は日本では合法ですよ。あなたのように自らの意思で米国籍を取ろうと考える人は米国籍取得と同時に日本国籍は喪失します。そもそも土俵が違うのです。大丈夫ですか?国籍法全て隅々まで間読んでますか?勘違いしないように。
貴方が紹介したブログ主は前者です。その方のブログや国籍法を読んでなお、あなたの勘違いが解けないのなら、きっと長い在米中に日本語忘れちゃったんですね=(^.^)=お気の毒に。

私の読解力は確かにたいしたものではないが、この方の書いたことは正しくない。「本人の意思に反し生まれながらに米国籍を持ってしまった二重国籍保持者」というが、本人の意思に沿って生まれる方はこの世にはいないので、コメントの主は恐らく「本人の意思とは無関係に生まれた」という意味で使ったと思う。これには幾通りかのケースがある。

最も考えやすいのは、米国就労ビザあるいはグリーンカードを保有する日本人同士が米国で子供を出産した場合だろう。米国では両親がどんな外国籍をもっていようと、米国で生まれた子供は自動的に米国籍になる。

普通は、親がその子供を連れて日本に帰国し、住民登録をした時点で子供を日本国籍にして、米国籍を破棄する。だが、もしそれを何らかの事情でしなかった場合、子供は一時的に2重国籍になる。しかし、だからといって2重国籍は合法であるという事ではない。あくまでも、これは国籍選択までの猶予期間に過ぎないのだ。

米国では成人と決められている21歳の誕生日までに、米国籍か、あるいは親の国籍か、どちらかを選択しなければならない。これが米国国籍法である。私の友人にもこういうお子さんを持っている方が何人かおられる。お子さんの仕事や将来設計に関わることなので悩むところである。

しかし、米国移民局から「21歳になりましたから、国籍選択してね」という通知は来ない。あくまでも義務として自己申請し、どちらかの国籍を放棄しなければならない。しかし中には、21歳を過ぎても「なあなあ」でそのまま放置してしまう方々もいる。これが僕が言うところの「確信犯」である。

日本ではどうかというと、日本では22歳の誕生日までにどちらかを選択し、どちらかを破棄しなければならない。それが国民の義務であると国籍法で定められている。以下の法務省のHPを参考にしていただきたい。 http://www.moj.go.jp/MINJI/minji06.html

つまり、欧州のように四方を他国に囲まれ、混血が多い国を除いて、基本的に重国籍は日本でも米国でも違法なのである。もちろん、「本人の意思に反し生まれながらに米国籍を持ってしまった二重国籍保持者」達も例外ではないのである。

では重国籍はなぜ問題なのか。ひとつは、国民間に不平等が生じる可能性があるからだ。例えば日米の場合、相続や贈与の税法が異なるため、2重国籍の方は税率の安い国の税法にしたがえば得をするという不平等が生じるのである。

僕はコメントしてくれた方と判断の前提になる土俵は何も違わないと信じている。ただ彼あるいは彼女が21歳前か後かということだけである。21歳前なら猶予期間。21歳後なら確信犯扱いになる。知らなかったでは済まされない。世の中はそんなに甘くはない。ただ、現在のところ、これを罰する明確な法律がない。だから、この選択の義務をずっと怠っていた蓮舫議員に関してもうやむやになっているのである。

現時点で蓮舫議員に求めなければならないことは、日本のパスポートを提出させることである、台湾を訪問したときに、入国印が押されているかどうかのチェックは10分で済むだろう。台湾出入国印が押されていなければ、彼女はどうやって台湾にはいったのか?あきらかである。有効な台湾パスポートを保持していたことになる。つまり二重国籍確信犯ということだ。。

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性差別考 2

今回の資生堂CM批判の根っこの「性差別」とやらは、恐らく、女性のカワイサの曲がり角を25歳とした設定が勝手な「男目線」だという事にあるのだろう。裏を返すと、25歳はまだ女の子だといっているわけだ。これが30才だったら文句は出なかっただろう。

だが、資生堂は女性ビジネスの長年のプロである。このCMを作るとき、女性にとって自分の顔に責任を持つ年齢は何歳なのだろうという議論を行ったはずだ。

昔から、「25歳が肌の曲がり角」であると言われてきた。これはエイジングの観点から導き出された年齢だが、実際はそれだけではない。25歳といえば、大卒では、入社3年目。見習い期間も終え、一人前とみなされる時期。高卒であれば、仕事にも慣れ、後輩もでき、職場で頼りになる中堅の仲間入りの歳だ。

つまり、25歳は「働く女性」にとって生き方がしっかり顔や立ち居振る舞いにはじめる年ごろと言える。

リンカーンの有名なことばの一つに、”40歳過ぎたら男は自分の顔に責任がある”(Every man over forty is responsible for his face)というのがある。その人の生き方は必ず顔に現れる。40歳にもなれば、経歴の大半は自分の責任であるというのだ。

若い女性の自立年齢25歳という設定は絶妙ではないか。平成生まれの女性もそろそろ三十路が見えてきた。毎朝、鏡をみるとき、[時は流れず、積み重なる]ことで自分の顔が磨かれていくことを自覚したほうがよい。

そう考えれば、この資生堂のインテグレートCM、啓蒙的である。そんなに目くじらたてるほどではないのでは。

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性差別考

資生堂のCM:25歳の誕生日を迎えたことについて、こんな会話:

「今日からあんたは女の子じゃない」

「もうチヤホヤされないし、ほめてもくれない」

「カワイイという武器はもはやこの手には、ない」

これに対して女性ネットユーザーから苦情が相次いだという。僕が推測するに25歳以上30歳未満ぐらいの女性だと思うが。

「広告で何の疑問もなく女性差別をするって、何考えてるの」「えっなんでまだこの価値観??? 今昭和??? 」資生堂はこのCMを中止した。

しかし、Youtubeで確認してほしい。

僕が昭和だからなのだろうか、この会話が女性をどう性差別しているというのかわからない。僕にはむしろ、いつまでも表面的な美醜を気にしている若い女性たちへの厳しい示唆に思える。会話の一つ一つが真実をついた貴重な人生訓だ。ところが、世の中にはこういう女性達にすぐおもねる昭和生まれもいる。例えば茂木某とかいう自称脳科学者は批判に対しすぐ反応した。

世間では、たしかに、「24歳はクリスマス・イブ」「25歳はクリスマス」みたいなメタファーで、女性の年齢を語る方々がいる。しかし、それは何の根拠もないいわば「カンチガイ」であって、生物学的に25歳に特別な意味があるわけではない。思うに、今回の「残念」は、コマーシャルを企画、制作する方々の中に、「女の子は24歳まで」などという、カンチガイの文化(それは、今や世界的に見れば絶滅危惧種のような、ローカルな奇習だと思うが)があって、それが世間ではどう見えるか、というメタ認知が働かなかったことだろう。

はたしてカンチガイはどっちだろう。資生堂は別に生物学的に25歳に特別な意味をもたせたわけではない。女性もある年齢から、自分の生き方、積み重ねが自分の顔になる。だから、可愛さを持続させるためには生き方をしっかり考えるべき年齢になったのだぞ。という、商品名、インテグレートと良く合致した明確で秀逸なメッセージCMと思うのだが。

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お知らせ

日本に帰国して1年。中軽井沢を終の住処と決め、家内とビーグル犬と旧車5台と静かに暮らしている。最近、本ブログがおろそかになっている。書きたいことは山ほどあるのだが、安易にLINEやFACEBOOKにいってしまう。

これが原因のひとつだが、それだけではない。最近とみに「言葉狩り」がひどくなっているように感じる。「言葉尻を取られて炎上」がよくみられる。本もろくに読まない携帯世代の若者から、「その価値観って昭和?」と揶揄されるのはたまったものではない。批判されないように言葉を選びはじめると、初めの勢いは失せ、書くのが億劫になってくる。

また軽井沢でのガレージ・ライフの記録は、新たに「軽井沢ベース」という別ブログを立ち上げた。

http://karuizawabase.blog.fc2.com/

今までの記録はここに残しておくが、僕の車関係のブログに興味を示していただいている方は新しいブログ「軽井沢ベース」を読んでいただけると有り難い。日々の記録に関しては今後もこのブログに綴っていきます。よろしくお願いいたします。

 

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