孤独のグルメ 18 前編

大学を出てすぐ海外留学。何も知らないまま、日本の実社会に投げ出された僕の、初めての勤務地は小田原からバスで40分、電車で30分かかるMA市であった。僕が生まれ育った札幌は北海道では一番の街だったが、あくまでも「外地」のレベルである。「内地」の東京などとは比べ物にならない田舎であった。しかし、このMA市は、そんな外地の田舎者でさえ、「なんじゃこれは」と感じるほどのすごーい場所であった。

わずか2両の単線の電車に乗ると、必ず途中駅で「待ち合わせのため5分間停車いたしまーす」とアナウンスがある。壁に最初から埋め込んであるとしか思えない、90度の硬いイスに座ってじっとすれ違うのを待つ。ふと窓越しに構内にある古びた看板が目にはいった。

昭和初期と思われる髪型と「うりざね顔」の女性が「にこっ」と笑っている。その横に、これまた現代では絶対に使われない「フォント」で「都会的ハイセンスの店。000美容室」と書かれてあるのをみたとき、「ああ。僕はとんでもないところにきてしまったのだ」とため息がでた。

だが、実は僕はまだ良いほうだった。僕が勤めた会社にはいくつかの事業所があり、そのひとつに静岡のFY町があった。ここは「養鰻業」が盛んで、道路の両脇のいたるところに、うなぎの養殖池があった。夏の朝夕になると、それはそれは大量のブヨと蚊がわくのだそうだ。その光景はまるで、空中に黒い帯ができるほど。そこを独身寮から会社の行き返り、自転車で通らねばならない。道を通るとき、ちょうど顔のあたりにこの帯がぶつかるのだそうで、まるで生きている心地がしないのだそうだ。

当時は会社にも余裕があったのか、僕たちの入社研修は3ヶ月にも及んだ。新人研修のおきまりの先輩面談では、繰り返し、このFY町の「恐怖の黒いベルト地帯の話」をきかされた。そしていよいよ研修最終日に、全員の前で一人一人の配属先が通知された。僕のグループの一人、慶応の修士出身の生真面目な男の配属が「FY町」にきまった。

その瞬間、彼は人目をはばかることなく、人事部長の前で「いきたくなあーい」と叫び号泣したのだ。初めての注射を嫌がる駄々っ子のように、身体をよじらせながら大粒の涙を流した「彼」。今ごろどうしてるのだろう。

 

rocketboy2 について

合成化学と薬化学と天然物化学を生業にし、それらを基盤にしたビジネスを展開している。
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