幸せの時間

ケイティ・カークパトリックという21歳の美しい女性がいた。彼女のとなりにいるのはニック、23歳。彼女の婚約者だ。彼らは2005年1月11日に結婚式をあげた。

ケイティは末期の癌だった。すでに肺から心臓に転移していた。彼女は結婚式直前にモルヒネの点滴を受けた 。モルヒネで痛みを抑えなければ立つことすら出来なかったのだ。この日のためにつくった彼女のウエディングドレスはこの1ヶ月の体重減少で何度もぬいなおされた。

彼女のそばには万一のために酸素ボンベがおかれた。彼女の臓器はもはや酸素吸入なしでは機能していなかった。彼らを見つめているのは婚約者ニックの両親である。彼らは心から愛する女性と添い遂げた息子を誇りに思い、ケイティ優しく迎えたのである。

ケイティは友人やニックが歌う祝福の歌声にひとときの幸せを味わった。

披露宴の途中、ケイティのモルヒネの効果が切れた。痛みと疲れで彼女は立ち上がることさえ出来なくなった。

ケイティは結婚式から5日後の2005年1月16日にこの世を去った。

僕は「医薬品開発関連」の仕事を20年近く続けてきた。だが一度たりとも自分が直接開発に関わった医薬品を上市した事はない。自虐的になるが、「生命を守る」という耳ざわりの良い言葉で「生きる糧」を得てきたにすぎない。僕の周りにもそういう自己満足の連中がたくさんいる。

僕らはどれだけの資源を使いどれだけの実験動物の生命を奪ってどれだけの患者に貢献できたのだろう。ケイティを見て「祈る事」しかできない僕は「生命を守る」仕事をしてきましたなどと恥ずかしくて言えない。

だが、この若い二人の物語は人生を精一杯生きようと決めれば、一瞬かもしれないが幸せは手の届くところにあることを教えてくれた。

若い頃、僕らは幸せだった。いつも目を輝かせて全力で働き。憎しみや争いなどはすぐに水に流し。「結果」など考えずに愛する人には思いを伝えた。人目を気にせず大声で笑い、そしていつも笑顔を絶やさなかった。

でもいつのまにか「世間体」や「言い訳」や「しがらみ」や「ずるさ」を身にまとい、いつも用心深く非常口を探すような生き方になってしまった。そして本当の「豊かさや幸せ」の意味を考えないまま、もっと多くを求め、まだまだ足りないと嘆いている。

元には戻れない。だが、残された「僕の時間」を精一杯生きることはできる。「幸せ」とはそういうことなのだ。若いケイティとニックが教えてくれた。2011年は僕の人生にとって忘れられない年である。

rocketboy2 について

合成化学と薬化学と天然物化学を生業にし、それらを基盤にしたビジネスを展開している。
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