ベルトーネX 1/9 ( 2016/8/08更新)

シュノーケル 補足 (2016/8/08)

補足すると、このシュノーケルは今から8年程前に北海道札幌市の KI オートモービルというイタリア・フランス車をメインとしたレストアを手がけるショップが販売したもの。

これはシュノーケルの弱点である、エンジンフードが開かないという欠点をカバーするために脱着式になっている。僕は自分のX19はオリジナルにこだわっているのだが、なぜかこの脱着式のシュノーケルには大変心が惹かれるのだ。

もともと、シュノ―ケル搭載車を町中で見て衝撃を受けた鮮明な記憶があり、一度でいいから装着したいと思うのだろう。X19プロの方は、単なる飾りで何の意味もなく役に立たないと言われるのだが。無駄なものをつけるのも旧車の楽しみではないのかと自分は思うのである。

誰がどうやってこのシュノーケル1体型のフードを作成したのか、KI モービルに問い合わせたが古いことらしく回答は得られなかった。どなたか情報をお持ちなら教えて欲しい。

シュノーケル (2016/8/07)

もしどなたか、写真のようなエンジンフードと1体型の FAZA スタイル・シュノーケルをお持ちの方がおられましたらご一報ください。

オイル交換 (2016/3/28)

今年の初遠乗りになった茨城ツーリングも終わった。

昨年から1500キロほど走ったのでオイル交換をすることにした。僕は旧車には安い鉱物油を入れて頻繁に交換することにしている。鉱物油の定番、シェブロンである。今回はフイルターも交換する。このフイルターはFKRで2年前に交換していただいたものだ。ASH LF3 というフイルターがついている。

ただ、どうもフイルター付近にオイルがにじんでいる。もしかしたら純正ではないので微妙に内径が合っていないのかもしれないと思い、米国で購入した米国仕様のX19に最も良く使われている米国 FRAM PH 3512と内側のゴムのサイズを直接比較した。

ガスケットの内外径を測定したが両者にはわずかな差しかなかった。ASH LF3が1ミリほど小さい。

「まにあのガレージ」さんからの情報で、X19に適合する国産フイルターはトヨタNo.15600-25010/15600-41010、ダイハツNo.15601-87307、やドライブジョイV9111-0012、ピットワークAY100-TY018 などだそうだ。

早速、ヤフオクでダイハツ品を入手した。次回に試すつもりである。

さらに、ギアオイルも交換することにした。かなり汚れていた。

米国ではマニュアル車用としては最も評判の良いレッドラインのMTL ギアオイルを入れた。

X19にはギアオイルが 3Lも入るのには驚いた。エランやヨーロッパは1 L 程度である。

サンバイザー作成 (2016/2/28)

以前から気になっていたが、26年も経過するとオリジナルのサンバイザーはやせ細り骨と皮だけになっている。作り直すことにした。

オリジナルのビニールを裂くと中からは粉になったウレタンが舞った。

まずフレームを洗ってサンドペーパーでみがいて錆びを落とす。

中空なので型紙を紙テープで巻いて芯を作りその上から、ウレタンではなく経時劣化しないポリオレフイン素材を貼った。

しかし最初に貼ったものは少し重すぎた。重いと下がってくる危険があるので、再度軽い素材で貼りなおした。今度はかなり軽い。

そして裂いたビニールに合わせて、やや小さめに合成皮革を切り取り、ミシンで縫って同型の袋をつくった。

そして皮におしこみ、引っ張って形を整えた。あとは端を手縫いで縫うだけである。

助手席側にはミラーがついている。これは丸く切った革の縁にそって同色の革で縁取りして縫った。あとはオリジナルの注意書きの書いた紙を注意深く剥がして、運転席側の裏に貼りなおした。これで後20年は持つでしょう。

車検 (2015/10/15)

10月11日には年に1回のラナバウトのお祭りがある。http://www.asahi-net.or.jp/~rz9t-hrgc/Runabout.html。その前に車検を通さねばならない。ある理由で僕のX19の車検をひき受けてくれるところは多くない。今回はレストアをしてくれた岐阜のS屋に頼むことにした。4時間かけて岐阜まで運び、依頼した点は以下の通り。

  • 車検(2)CD30のホイールバランス(3)ラジエターパイプの穴の補修(3)運転席ロックの不備(3)60タイヤにしたので車高できれば5センチ下げたい。

数日後これに対して、以下の返答が来た。

  • 車高はショックを替えなければ下げれない。スプリングを切ることもできるが乗り心地は最低になるのでやめたほうがよい。
  • リアキャリパーオイルもれ。場所はサイドブレーキ側。アセンブリー交換すべき。
  • エンジンとミッション間、下側のマウントがつぶれている。要交換
  • ラジエターホース交換
  • テンションロッド・ブラケット・ブッシュつぶれている。要交換。

早速、パーツの入手を試みた。テンションロッド・ブッシュとラジエターホースは米国ベイレスに新品在庫あり。後期仕様のエンジンマウントは前期と形が異なりアーム付きアッセンブリーであり、中古品がある。これらを購入することにした。問題はキャリパーだが、ベイレスには在庫なし。イギリスに新品がある。

ラナバウトのメンバーに相談したところ、群馬のX19スペシャリスト「ガレまに」さんからOリング付きのリビルトキットがあるとのうれしいオファーがあった。すぐに譲っていただいてS屋に送付した。

そして前日の10月10日にぎりぎり終了。岐阜まで取りに行った。

ラジエターパイプの穴はパイプの全とりかえをする場合、溶接してあるのでかなりの時間がかかるとのこと。現時点ではゴムで巻いてクランプで止めておく僕の処置がベストとのことであった。ひとまず準備は整った。

CD30 装着 (2015/9/03)

1989年以来ずっと履き続けてきた「純正スピードライン」のホイールにお別れるするときがきた。近くのガソリンスタンドで米国から持ってきたクロモドラCD30に交換した。

同時にタイヤを185・60・R 13に変更した。13インチの60タイヤは中国、韓国製以外にはFALKENしか見あたらないので、これにせざるを得なかった。

しかし、何分、僕の居住地は田舎。CD30のセンター穴径が小さすぎて、ホイールバランスが取れないとのこと。高速でないなら走行に問題はないと言われたので、10月の車検までこのまま乗ることにした。100K以下のスピードでは別にハンドルがぶれる事はないようだ。

60にしたことでフエンダーとのすき間が目立つようになった。車検時に車高を少し下げてもらうつもりである。

冷却水漏れ (6/13/2015)

環8のポテンシャル・カープロジェクトに伺うために X19 で東名を走り、途中、海老名のSAに立ち寄ったとき、ラジエターに冷却水を送るパイプの1本から激しく冷却水が漏れていることに気づいた。完全に穴が開いている。水温が低下するにつれてポタポタに変わってくるがこれで走行は無理である。エンジンルームの予備タンクの水もほとんどなくなっていた。あぶないところだった。

実は昨日からポタポタ漏れていることには気が付いていたので、近くのホームセンターから液状ハンダなるものを購入して塗った。止まったようなので良いとしたのだが、全く用をなさなかったのである。

混雑しているSAの駐車場で、小さな外車が下から緑の冷却水をお漏らし。水溜りをつくっている光景は異様である。だが、僕は周囲の好奇の視線などにはかまっていられなかった。さあどうしよう。

まず、FKRの奥富さんに電話した。30年も経過するとするとこの鉄のパイプはさび付いているのが普通らしい。中は錆びでぐしゃぐしゃらしい。だが、このパーツの替えは既になく、ステンレスで特注はできるのだが、かなりの大仕事になるとのことだった。

応急処置をするにもポテンシャルさんがうけいれてくれるのならポテンシャルまで運ぶのが良いということだった。ポテンシャルの山元社長に電話すると受け入れ可能と言うことだったので、一か八か海老名から世田谷まで走らせることにした。

(1)出来るだけ水温をあげないために、エンジン回転数を上げないこと。(2)予備タンクに出来るだけ多くの水をいれておくこと。(3)水圧を下げるために予備タンクのキャップをゆるめにしておくこと。(4)ヒーターを全開にすること。(5)さらにミネラルウオーターを4本購入して万が一に備えた。

幸運なことに環8があまり渋滞しておらず、なんとかポテンシャルにたどり着けた。室内は蒸し風呂状態だったが。

ラジエターの下を見ると勢いよく水が漏れている。まあこれでよくこれたものだ。

どうしようかと考えていたとき、山本社長から、「いいものがある」といって示されたのが瞬間配管補修剤 RAPID FIXなるものだった、昨日、液状ハンダで失敗してるので、正直あまり期待はしていなかった。

まずラジエターの水を出して、表面を乾燥させ、まず1液をかける。そしてそこに2番目のボトルに入っている粉をかける。さかさまなので粉の振りかけはかなり難しい。そしてこれを何回か繰り返す。ためしに液に粉をふりかけてみると、瞬時に固まった。すごい硬化力である。

5分後、水を入れてエンジンをかけてみると水漏れは完全に止まっていた。環8から小田原まで全く問題なく帰宅できた。

これは応急処置以上の補修剤である。鉄のみならず、ゴムでもFRPにでも瞬時に接着あるいは充填出来るので旧車オーナにはありがたい備品です。アマゾンで購入できます。

クロモドラ (2015/3/27)

僕が1982年にX19をを初めて購入してからどうしても叶えたい夢があった。それは新品のクロモドラのCD30ホイールを付けることだった。でもなかなか叶わなかった。理由は日本では高くて買えなかったからである。以来30余年、僕の2代目X19にもまだ純正のスピードラインのホイールがついている。4年前のレストアのときも躊躇して、結局現ホイールをレストアして使った。

今回、米国を去ることになって、一大決心でこの夢を実現することにした。イタリアからつや消しのCD30ホイールが今日届いた。

この秋からはこれで日本を走れる。30年越しの夢が叶った。

X19 雑感 (2015/2/15)

考えてみると、X19ほど不幸な車はないように思う。米国に住んでこの感はさらに強くなった。米国人は乗り方が雑でまともに走る車は皆無である。中古車市場価格は5万円から20万円程度。どれもこれも程度は最悪である。

X19は僕が生まれて初めて魅了され、そして免許を取得して初めて買った車である。思い入れが強くフエアな判断はできないかもしれないが、X19 が販売された頃は、ポルシェ914やロータスエランなどの良きライバル車として雑誌に紹介されスペックが比較されていた。

70年代、スタイルが抜群のこの小型スポーツカーは若者を中心に大きな人気がでた。しかし、1980年初頭、イタリアから到着し米国の港湾でデリバリーを待っていたX19 にハリケーンが襲う。これが日本の悪徳中古車デイーラーの目にとまる。

そして1年後、2束3文で輸入されたX19 冠水車が大量に日本の店頭に並んだのだ。悪徳デイーラー達は外装の錆びを安価なペイントで隠し、「走行ゼロキロ、米国仕様、新古車」として販売し大もうけしたのだ。(代表的なのは既に廃業あるいは倒産している東京のVとか大阪のMである。イタ車をだめにした張本人である)

100万円安い新古車ということで飛びついたら最後、考えられない故障にオーナーは悩まされる。「イタ車はやっぱり壊れる」という間違った風潮を決定的にしたのはこの冠水車販売からだと僕はおもっている。

そしてさらに不幸だったのは、初期の東邦モータース以降、正規デイーラーが弱小でしかもころころ替わったことにもある。こんな不幸な境遇でX19 はすっかり勢いをなくし、人気も下降。一部の物好きなオタクの乗り物となっていく。1987年で製造が中止になってからの10年は中古車市場でもまるでゴミ同然の不当な扱いを受けてきた。

こんな中、X19をしっかり支え続けてきたクラブがある、「ラナバウト」である。

http://www.asahi-net.or.jp/~rz9t-hrgc/Runabout.html

僕は1989 年の雑誌の切り抜きを持っている。現在のラナバウトの基礎になるX19オーナーズクラブの会合記事である。当時はハンユーオート内に事務所があったようだ。このクラブでX19を愛し、しっかり守ってきた若者達も今ではもう50-60歳代になられたことだろう。この写真に映ってる方の何人がまだ「ラナバウト」に在籍にX19を所有しているのか一度聞いて見たい。ただ言える事は、この方々に支えられてX19の正しい評価が少しづつ戻ってきたということである。

奥富氏が主宰するx19の専門修理工場FKR  http://fkrx19.web.fc2.com/usedcar.html そして良質のX19 を販売している環8のポテンシャルカー http://www.potential8.jp/ など、メンテナンス、販売のバックアップ体制も整ってきた。

僕は20年ぶりに今夏に日本に帰国する。20年ぶりに僕のX19生活が復活するのである。今後はラナバウトのメンバーとしてX19を陰から支えるお手伝いもするつもりである。

リウニオーネ参加(2014/10/23)

FKR 奥富さんにエンジンをチューニングしてもらって初めてのご対面となった。エンジンルームには新しくパワーフローと燃圧計が設置されていた。X19の混合気はかなり薄いのだそうで、それをぎりぎりまで濃くしたセッテイングだそうだ。走ってみて驚いた。

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全く別の乗り物である。1,2速の伸びは面白いぐらいで、今までは音ばかり大きくて「糞詰まり状態」の米国仕様エンジンが嘘のように軽く吹け、走りが軽やかになった。奥富さんに感謝の一言である。そんなわけで、台風19号が接近してきた10月12-13日に、ランナバウトの年一回のX19のお祭り「リウニオーネ」にルンルンで参加したのである。

小田原から午前8時に長野の野辺山ドライブイン集合は難しいので僕は「佐久」に前泊した。我ながら気合が入っている。当日は台風接近にもかかわらず天気が良くドライブ日より。集合時間には1年ぶりのランナバウトの中間達が続々と集まってきた。全部で15台。

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なかにはフエラーリ328GTBやモンディアルなどもあった。328GTBを久しぶりに見た。いつ見ても美しい。僕はこの世で一番美しい造型物のひとつと感じている。

我々はここから信州の山形村の 清水高原にあるスカイランド清水までツーリングを行った。

その夜にはパーティが行われたが、僕は全く予期しない素晴らしいプレゼントをいただいた。メンバーの中に美大卒の画伯がいて、僕のX19をデッサンして額に入れてくれたのである。宝物になった。レストアして本当に良かったと改めて感じた。23回目のお祭りということで、参加者限定でアバルトさそりのキーフォルダーもいただいた。

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翌日は台風接近で雨になったが体育館を借りてバーベキュー。楽しい1日を過ごした。

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ところが、帰るだんになってどうもアイドリングが安定しない。信号待ちでとまりそうになる。奥富さんに電話した。混合気を濃くしたところに、台風なので気圧が低く、また標高が高いので、空気が薄いことでガスがさらに濃くなりエンジンがかぶっているのではないかということだった。

ガソリンスタンドでアイドリングを1500RPM まであげて何とか小田原まで帰ることにした。高速では快調にはしる。黒煙がでるので、やはり混合気が濃いのかと思った。翌日、台風が去った平地の小田原でエンジンをかけたが、やはりアイドリングはかなり不安定であった。やむを得ず、環8のイタリア車ショップ「ポテンシャル」まで車を移動することにした。

東名は快調であったが、渋滞の環8では信号待ちで3回もエンジンがストーンと落ちて止まった。こういう故障は実に緊張する。FKRの奥富さんがこのショップに来ていたので車を預けることにした。何が悪いのだろうか。せっかく軽い走りになったのだから、大事にならないことを祈るばかりだ。おかげで修理屋ツーリングは欠席になってしまった。残念。

入院 ( 2014/8/24)

今年の春の修理屋ツーリングでリアのギアがはいらなくなった。エンジンを止めると難なく入る。不思議であった。以前、ギアオイルにものすごい量の鉄粉が混ざっていたこともあったので、何かミッション内部にとんでもない問題が発生したと思った。

僕はX19のスペシャリストであるFKRの奥富さんに修理を依頼した。奥富さんが手配してくれたトラックで高島平のショップ http://fkrx19.web.fc2.com/index.html に車を運んだ。

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さて原因なのだが、奥富さんはすぐ、この原因が内部ではなく、ミッションのロッドとリンクを繋ぐ部分の特殊なボルトとカラーのガタにあると見抜いた。ここのガタが大きいと左右の動きを吸収してしまい、1速側もしくはR側が入らなくなるそうだ。僕の場合も1速が入りづらかった。

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プロと素人とはこうも違うのか。脱帽である。早速、FKRオリジナルの対策品で調整していただいて治りました。

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しかし実家の方々に盛大に見送っていただいての入院だったので、このまま「ただいま」はバツが悪い。せっかくの機会なので2つのことをお願いした。ひとつは、以前お話していただいた、エンジンの調整である。それでなくともUS仕様はバランスが悪い。それをエンジンをおろさずに体感をアップさせるプロジェクトである。教科書には書いてはいないが、奥富さんが最も得意とするX19を知り尽くしたプロの技である。この機会にお手並みを是非拝見したい。またもうひとつはパネルライトの復活だ。いつのまにかパネルライトがつかなくなっていた。これの電気系統の修理である。

X19の電動ウインドースイッチは悪名高い。ロッカースイッチの接触部分が経年劣化するのだ。僕のも一度煙が出た。なんとか分解して修理しやが、角度によってついたりつかなかったりする。1ヶ月ほど前にイタリアから改良品が出ていることを知った。早速入手した。このためにもパネルライトの修理は是非お願いしたいのだ。

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CCS 春のツーリング 2 (2014/6/11)

今回も飛騨高山周辺のドライブとなった。それれにしても日本には道の駅なるものがたくさんできた。僕がいた20年前にはほとんどなかったのだが。その地方の特産品などがうられており、どこも多くの人たちでにぎわっている。ツーリングの休憩にもたいへん便利な場所である。

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ポルシェ356、モーガン、ロータス・イレブン、オリジナルのミニ軍団。ナローポルシェ。いろいろな欧州車が勢ぞろいで壮観である。

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南アフリカ産のレプリカだが、「スーパー7」の中でも、個人的には一番好みのバーキン7。

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毎回思うのだが、欧州車のツーリングとはいえ、99%はドイツとイギリス車だ。今回も、イタリア車は、僕のX19とMさんのアルファロメオのジュリエッタしかない。「何でなのだろう」といつも考えるのだが。良くわからない。

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昼食は数人の仲間と飛騨古川にある、「なかや」という手打ちそば屋にいった。僕が仕事で出張に来るときは必ず立ち寄る店である。今回は山菜の時期なので、「てんぷら」を揚げてくれた。ここのそばは実にうまい。

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飛騨に来られた折は是非寄ってみてください。きりりと冷やしたそばの「こし」と「たれ」の良い塩梅は長く記憶に残ります。

というわけで、100台ツーリングも無事に幕をとじた。、今秋もまた参加をしたいものです。

CCS 春のツーリング (2014/6/06)

毎年恒例の「修理屋」主催のツーリングが5月11日(日)に開催された。昨年の秋は岐阜に前泊するも、当日大雨に見舞われて中止。泣く泣く帰途についた苦い経験がある。だが、今回は素晴らしい晴天に恵まれた。

前日に「修理屋」の工場にあいさつにいった。いつもながら、さまざまな欧州車が修理中である。修理屋保有の貴重なフォード・コルチナは明日の先導車である。

早朝7時30分、集合場所の長良川サービスエリアには100台近い、修理屋ゆかりの車が集まった。僕のX19も2011年にレストアしていただいたのが縁で毎年、時間の許す限り米国から参加している。

車種に関係なく1974年以前に製造されたモデルで、そのままモデル・チェンジされていなければ、新しい車でも参加できるという「おおらかな会」である。僕のは1988年車だが、X19は1972年にデビューして、モデルチェンジしていないので参加資格ありというわけである。

今回は自作したシフトカバーをつけた。なかなか良いできだ。

見渡してもすべてが欧州車である。友人HさんのエランS3とSさんのポルシェ914とX19の珍しいショット。

恐らくご存知の方はあまりいないだろうが、X19の70-80年代初頭のカタログにはライバル車性能比較ということで、いつもエランと914との比較データが記載されていた。今思えば、鈍足のX19など、この2台の世紀の名車のライバルなどにはなりえないのだが。

70年代、多くの若者の心を捉えた「3台の欧州スポーツカー」と見れば、半世紀を経た現在、貴重な写真と言えなくもない。

クラブRunabout リウニオーネ (2013/10/13)

ツーリングがスタートした。目指すは 長野県東築摩郡山形村清水高原の「スカイランド清水」である。最初は並んで走っていたX19 も、信号待ちの度に皆さんバラケてしまった。20台では少なすぎるようだ。修理屋ツーリングは80台に上る車が集まるから、どこもかしこもまわりは旧車だらけになるのだが。でも天気が良く楽しいドライブになった。

ところが、僕のクルマ、途中からどうも感じがへんなのだ。アクセル踏んでもスピードが出ない。クラッチが滑っているように感じた。清水高原の最後の登りでこの疑いは確信に変わった。2速でやっと登れる程。煙も出てきて焦げた臭いがしてきた。だましだまし運転してやっと到着した。

早速、クラブRUNABOUTの中心メンバーのひとり、FKRの奥富社長に見ていただいた。FKR http://fkrx19.web.fc2.com/ はX19を中心としたレストアショップであり、奥富さんはX19に精通している日本でも数少ないプロのメカニックである。彼の診断はやはりクラッチすべり。さらに、ラジエターからの漏れもみつかった。僕の記憶では、1989年にこのクルマを購入してから初めての走行トラブルである。ショックだった。

問題はどうやって実家に帰るかだ。そして5日後に予定されている、高山で行われる「修理屋ツーリング」までにどうやって修理するかである。今回、奇跡的な幸運が3っ重なった。

まず、僕の実家のある小田原からX19仲間のOさんが翌日、プリウスで参加されたこと。快諾をいただいて、帰りの足を確保させてもらった。そして、X19の新品のクラッチ・セットを京都から持参したメンバーの方がいたこと。

3番目は奥富さんが同じラジエターをコア張替えに出すところであったことだ。この幸運を逃してなるものかと、僕は奥富さんに、5日間でラジエターコア張替え交換、クラッチ交換という無謀な修理をお願いした。奥富さんは忙しい中、快く引き受けてくれた、ただただ感謝である。早速入庫した。

一昨年のレストアでほとんどの部品は新たに交換したのだが、ラジエターとクラッチは手付かずだった。写真のようにラジエターは経年劣化がひどく、コア部で漏れていた。またホースのボデー連結部も「さび」がひどい。25年の歴史をまざまざと見せ付けられた。

張替えたラジエターは新品のようになった。

この部分は日をあらためて直さねばならない。クラッチはたった走行距離17000キロにもかかわらず半分の薄さになっていた。僕の未熟な運転技術のあらわれだ。レリーズベアリングも交換した。

奥富さんはきちっと5日間で完璧に治してくれた。クラッチは前と比べてかなり軽くなった。1、2速での走りの違いが体感できた。

僕は修理屋ツーリングのために翌日に岐阜に向かった。しかし、当日の朝は土砂降りの雨。結局ツーリングは中止になった。来年の春までお預けである。

富士トリコローレ参加(2013/10/31)

10月13日、富士吉田市の富士カームで行われた富士トリコローレに参加した。というより、X19のクラブ 「RUNABOUT」の今年のリウニオーネの集合場所がここであった。というほうが正しい。全部で16台のX19が集まった。このように多くのX19がー堂に会するのは久しぶりである。壮観だった。同じ年式、車種でも、一台として同じ車がないのがX19の特徴だ。今回も16台どれもが世界に一台しかないオーナーこだわりのX19だった。

富士トリコローレのキャッチコピーは「旧い稀少車から現行車でイタリア車の祭典」ということなので、かなり期待したのだが、参加してみるとほとんどが現行車であった。アウトビアンキA112やオリジナルのフイアット500、ランチアストラトス、128アバルトラリーなど、若い頃、心をときめかした「イタ車」に出会えたのは有難かった。だが、イタリア車の祭典というには少しさびしかった。

現行のフイアット500がたくさん集まっていた。どれもおもちゃのようにドレスアップした個体で女性オーナーもたくさんいた。独特の大きさや形が女性の気持ちを捉えるのだろう。米国でも新しいフイアット500はどんどん増えてきている。

僕の一人よがりの意見だが、イタリア車は昔とは様変わりしてしまったように思う。イタリア車が持つ、実用性を犠牲にして、走りやスタイルやデザインを追求するという独特の姿勢が薄れてきている。アルファ、フイアット、フエラーリ。僕にはこれらの現行モデルには心惹かれない。フエラーリ328、308が数台きていた。328はいつ見ても僕の心を掴んではなさない。こんなに美しいクルマは世界にはそうたくさんない。しばし見とれた。

お昼過ぎにぼくらは富士トリコローレを後にして、長野県のリウニオーネ会場へと向かった。

富士トリコローレ2013準備

来週の富士トリコローレとリウニオーネへの参加に合わせて一時帰国。半年ぶりに洗車して少し整備。ステアリングはアバルトのレプリカを手にいれたのでアバルトレッドに変更してもらいました。ついでにシフトも同色にしました。

出会い

僕は20代はなぜか有機化学というものに没頭していて、趣味という趣味もなく、ただ、自宅と大学の研究室を往復する毎日だった。従って、車にも全く興味はなく免許だってもっていなかった。そんな僕がX19と初めて出会ったのはスイスのチューリヒという町であった。留学したスイスの大学はETHといってアインシュタインが入学試験に落ちた大学として有名で、何人ものノーべル賞受賞者を輩出している名門大学だった。

有名な化学の法則を作り上げ、教科書に出ている有名教授と同じエレベーターに乗り合わせたりすると、芸能人にでも会ったときのように興奮したものだった。こんなわけで、せっかくスイスにいながら、ほとんど観光にはいかなかった。スイスはまるで箱庭のように美しかった。野山もしっかり整備されて、害獣などは全部駆除されているから、そこらじゅう兎とリスと鹿だらけだった。

研究のかたわら僕がスイスで始めて覚えたことはジョギングだった。これは覚えたと言うよりやむにやまれぬ事情だった。なにしろ、昼食時からビールを飲むお国柄。しかも昼食は11時30分から1時30分。5時すぎると迎えのレストランで毎日ビールを飲んで騒いでいた。1年もしないうちに10kgも太ってしまったのだ。

実験を終えて、ケーブルカーで山の中腹にある大学の運動場にいき、グラウンドの後ろに広がる10kmの山道を走るとすべてのストレスが吹き飛んだし、じょじょにおなかもへっこんだ。そんな生活を送っているとき、運動場の駐車場にいつも停まっている一台の小さな真紅のスポーツカーが気になりはじめた。ポルシェでもなければMGでもない。名前などわからなかったが、日本ではついぞ見たことのない、何かきりっとした小さな2人乗りのスポーツ車であった。オーナーは若い女性で、いつも長い髪をたなびかせてながら山を下りていった。

 この真っ赤な車がX19との初めての出会いだった。私はそれ以来、運動場にいくたびにその車を探した。そしてじっくり観察した。あるときいつものように見ているとオーナーの女性がやってきた。可哀想な東洋人と思ったのだろうか。「この車に興味があるの」と聞いてきた。それがモニカという学生で僕の研究室の2つ上の階の生化学教室の学生であることがわかった。動機はいささか不純ではあるが、これをきっかけに僕はこの車へさらに強く傾倒していったのである。モニカは僕を乗せてドライブにもつれていってくれた。この車はイタリアのベルトーネというデザイナーがデザインした1300ccのキャブ車で、イタリアではベイビーフエラーリといわれていることも聞いた。「でも本当は、貧乏人のフエラーリと呼ばれているのよ」といってモニカは笑った。

購入

2年間の留学を終えてある企業に勤めた僕は、最初のボーナスでとりあえず自動車学校に通い始めた。当時は卒業までには大体年齢と同じぐらいの教習費がかかるといわれていた。しかし30歳で通い始めた僕は運転のセンスはまるでなく、30万の予算はすぐなくなった。とにかく縦列駐車が出来ないのだ。(今でも同じだが)

教習所に通いながらもX19を探し始めた。当時はインターネットも携帯もない時代。唯一の情報源は月刊誌の広告だった。当時、東京の環8あたりは輸入外車のデイーラーがひししめきあっていた。そこで、僕はやっとグリーンのX19、1979年車、1500ccを見つけた。新古車だから走行距離はゼロなのに、新車より100万円も安い。198万円のタグがついていた。僕は飛びついた。そして自動車免許を取ったその日に納車してもらったのである。

悲劇

その車が悪名高き冠水車であることを知ったのは納車してから10日ほどたってからだ。車雑誌に写真入りで紹介されていた。「1979-1980年のX19の新古車は冠水車がおおい。注意せよ」という記事だった。本国から米国に輸送され埠頭にあげられたX19があいにくの台風で海水をもろにかぶったそうである。そのまま放置されたので、外装やエンジン部分に錆びも出て誰も買い手がつかなくなった。やがて、商魂たくましい日本の中古車デイラーが2束3文で輸入したとのことだった。確かに私の車のボンネットの下にははうっすらさびが出ている。またクラッチが重いのでクレームしたら新車のはずなのに、クラッチケーブル内が錆だらけだった。その中古車屋に問いただしたらあっさり認めた。

それから、故障の日々が始まった。雨の日に走行中、突然前が水だらけになったとおもったら、なんとワイパーが骨ごと飛んでいた。ガソリンスタンドでガソリンがかかったところの塗装が変色。塗装屋にきいたら再塗装車だという事が判明。海水によるダメージを隠すためなのか。信号で停まった瞬間ギアが入らなくなった。バックだけはいったのでそのまま恥ずかしながらバックで路肩へ移動。駅の前でオーバーヒート。そのときはあせってエンジン止めてすぐラジエターキャップ取ったものだから熱水の噴水。東名でバッテリー上がって停まった。オルターネーターの故障。水溜りを越えたとたん急停車。リトラクタブルライトが突然左右交互にダンスをしはじめた。スイッチ切ってもとまらない。ホーンボタンが鳴りっぱなし。カセットの動きが緩慢でサザンの曲がお経のように聞こえた。

それでもミッドシップの走りとタルガトップの爽快感は楽しかった。結婚して子供が生まれるまでの6年間、6畳2間の生活のときも決してこの車だけは手放さなかった。僕はこの冠水X19と苦しいながらも楽しい生活を送ったのだ。

別離と再会

やがて別れの日がやってきた。家族が3人になりどう考えてもX19では対応しきれなくなった。当時、X19のパーツだけを扱っていた環6の東邦モータースに出入りしていたので、このX19を下取りにしてオペルのイルムシャーカデットGSiを買った。この車は別に何の変哲もない普通のドイツ車だった。そして1988年のことだ。何気なく車雑誌をみていると、X19の製造中止のニュースが出ていた。忘れかけていたあの思いが蘇ってきた。そしてどうしても欲しくなってきた。

僕はイタリアのベルトーネ本社に手紙を書いた。今まで自分がどれだけX19を愛したか。そしてその車が生産中止になったことを知り実に悲しい。と、つたない英語で思いを送った。すると1ヶ月ほどたって、ベルトーネの本社から封筒が届いた。その中には「X19を愛してくれて有難う」という手紙と一緒に、大量のカタログや色見本が入っていた。僕はそれをひとつづつ見ていった。そしてその中にイタリアの澄み切った空のようなブルーのX19を見つけたのだ。これだと思った。

しかし、この時期、唯一の正規デイーラーだったオートリーゼンには白い1987年車が数台あるだけだった。今考えると、生産中止から2年間で日本に売れ残ったのは白いX19だけだったのではないかとも思う。当時のオートリーゼンのパンフは全部白いX19である。売り尽くそうという戦略だったのか。白も美しいが、僕のX19の色ではないと思った。

そして車雑誌を読み漁るうちに、横浜青葉台のある中古車屋にブルーの新車並行輸入車があるのを見つけたのである。これが2台目のX19との出会いである。X19最終モデルはマニアの間では人気はないが、リアフードがボデイカラーと同色になり、ボッシュのジェトロニクスが配備されていた。家族には軽自動車で我慢してもらい、僕とX19 との 生活が始まった。1989年のことである。

ベルトーネX 1/9 ( 2016/8/08更新) への4件のフィードバック

  1. koike より:

    素晴らしい。私も以前乗ってました。1980の1500キャブでしたが。

  2. 田口 より:

    こんにちは。私も以前に、確か83年型だったような・・・ ベルトーネブランドに変わって日本に輸入された、最初のロットのうちの1台に乗っていました。やはり、壊れまくりましたが。非常に懐かしく拝見しました。

  3. 宮城 義明 より:

    初めまして懐かしくてつい書き込みしてしまいました
    20年程前レストアして装着するつもりで購入したFIZAのシュノーケル所持しております。

    • rocketboy2 より:

      コメントをチェックしないで半年が過ぎてしまい,宮城さんのコメントもみないままシュノーケルを見つけました。FAZAではないですが。私の車ブログ、軽井沢ベースに記しております。どうか読んでください。コメントありがとうございました。

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