僕の昔話  2

僕が受かった小学校には当時僕の住んでいた北海道の名士の息子と娘だらけだった。札幌市長の娘、 道知事の息子、有名デパートオーナーの息子、老舗時計屋の息子、老舗陶器店の息子、札幌―のタクシー会社の娘、一番でかい薬卸問屋の息子、大きな病院の院長の娘、有名キャラメルメーカーの息子たち、某牛乳メーカーのオーナーの娘。道庁の官僚などなど。おかげで、知事公宅や市長邸でよく遊んだものだ。それでも1年生までは我が家も一応駅前にある大きな洋食レストランの社長だったので、まあなんとか体裁はたもっていた。2年生のときこのレストランが倒産した。僕が遊びにいくたびに、社長室の机に足投げ出して大声で怒鳴っている父親をみていた。子供心に違和感があった。今考えれば、倒産して当然である。

これによって我が家の生活はいっぺんした。父親は北大の近くでスナックをはじめ、母親は毎夜そこのママとして出勤するようになったのだ。母親は子供のために夕食を作り午後6時に父親と一緒に出勤。父親は夜の8時ごろ帰宅。そして夜中の1時ごろむかえにいく。そして二人は午前2時ごろ帰宅し寝るのは4時ごろ。私を学校に送るために7時ごろにおき、さらにお昼過ぎまで寝る。こういう生活は僕が7歳のときから大学に入る18歳までつづいたのだ。だから僕は子供の頃から家族と一緒に朝食を食べた記憶がない。このトラウマなのか、僕はこの歳になるまで、家族と朝ごはんを食べた経験がないのだ。

7歳の僕にとって、夜に母親がそばにいない生活はかなりのストレスであった。よく布団の中で泣いたことを覚えている。こういう生活は確実に僕のその後の女性観に影響をあたえた。憎悪と甘えと軽蔑と憧れが入り混じった、なんとも表現できない女性観である。そして母親に似た顔の女性に対する異常な執着となって現われた。

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