奇妙な癖

久しぶりに母校を訪れた帰りに、昔からある喫茶店に入って懐かしんでいた.僕のいた大学の隣に中島みゆきがいた女子大などがあって、昔から大学間で交流も盛んだった。あきらかにその大学とおもわれる女子大生が男と一緒に後ろの席にすわった。話し振りからどうもその男は私がいた大学の文学部の助手か助教授のようだった。何となく耳をすませた。女が「先生最近どんな本を読んでいますか」と甘えると、男は「うーん。今は森村誠一かな」ともったいぶった口調で言った。僕は思わずのけぞった。「おいおい文学部。森村かよ」という感じである。

森村とはかつて角川書店が小説と映画を同時に宣伝する「ブロックバスター戦略」という新手の方法を取ったとき時流に乗った推理小説作家だ。「今日は頭を空っぽにしたい」というときに読むにはうってつけの小説家である。読んでも次の日には何も残らないからだ。

ただこの作家には奇妙な癖があるのだ。それは小説中の言葉にまったく不必要な英語読みのルビをふる癖だ。これが読んでいると気になるのだ。 出発(チェックアウト)、部分(パーツ)、予約(リザーブ)、前金(デポジット)、部屋割り(アサイン)、呼び込み(ポーター)、到着受付(チェックイン)などはじゃまくさい程度ですむ。

寿命(ライフサイクル)、状況(シチュエーション)、乾燥食(ドライタイプ)、人工的映像(ポーズ)、社用(ハウスユース)、語りかけ(ナレーション)、提供者(サブライナー)になるとだんだん腹がたってくる。

チャンネル切替機(マッチングボックス)、大立物(ビックショット)、二室単位(ペア)、連絡ドア(コネクティングドア)、荷物専用エレベータ―(バゲージエレべーター)になると、もう筋はどうでもよくなり、ページを早めくりして「もっとないのか」と探す始末だ。結局、どういう結末かなどどうでもよくなり疲れて本を閉じるのである。だから、僕は彼の短編しか読んだことがない。

ブラックホールをわざわざ「暗黒の小宇宙」という日本語で書き、改めてブラックホールというルビを振る。八千メートル峰にジャイアンツ、半生にセミモイストタイプという英語ルビを振るにいたっては、アドバイスもしない出版社に腹立たしさすらかんじる。

戦後すぐ彼がホテルマンのとき外人客と話さねばならない機会が多く、それが昂じて英語コンプレクスになり、なんとか克服しようと英語を独学で勉強したという話を彼のエッセイを読み、この不必要な英語訳をひけらかすやっかいな癖の正体を理解した。

森村ファンには申し訳ないが、この癖が一部読者をいらつかせ、いくらユニークなタイトルをつけようとも、彼を2流作家と断定してしまった一因であるのだ。それに気がつかないこの小説家に同情を禁じえない。その森村も既に大御所である。「小説の書き方」の本も出しているようだ。僕は未読だが、文中の日本語に不要なルビをふることはおしえないでいただきたいものだ。(2011/11/28)

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