モーツアルトのパン

 台湾に非常に美味で人気のあるパンメーカーがある。この工場ではパンの醗酵過程において醗酵室全体にモーツアルトの曲を流している。この過程を入れることによってたいへんまろやかでおいしいパンができあがるそうだ。

最近では日本にも波及し、世田谷の高級ベーカリーではモーツアルトパンとして人気がある。僕はモーツアルト有り無しのパンを直接食べ比べていないのでその真偽のほどは分からないが、成長における周囲の環境の影響がたとえイースト菌においても無視できないということは面白いと思う。

イースト菌でもそうなのだから、ましてや人間ではどれだけ重要かは論を待たない。つまり、子供達の成長時期に外界からの影響が重要な要因になるということだ。子供達にとってのモーツアルトはもちろん「親」である。この前提にたつと、日米の差には教育制度のみならず親の態度の差が関与していることも無視できなくなってくる。よく言われるところの米国の誉める教育と日本の叱る教育の差がここにきて現れてきている。

とくに人生の中でもっとも多感な時代、10歳から18歳における親や教師の子供に接する態度は日米では大きく異なっているように思える。米国では悪いところ、劣っているところを叱るより、優れているところを伸ばすという縦教育が主流。結果的に子供の能力を棒グラフで表すならば、各人のグラフはものすごくでこぼこの多い分布になる。数学では大学へ飛び級できるほどのエリートもいれば音楽の天才もいる。足の速い子もいればコンピューター大好きというものもいる。

一方日本の教育は昔から横一列主義であり、学校では常に平均値が高い棒グラフが望まれる。その結果としていわゆる頭のいい子と悪い子という判断がこの平均値でおこなわれる。ある分野で縦に伸びようとする子供を抑えて全体的に高い平均値を求めていくとどうなるだろう。すぐ順応しすべてをそつなくこなす「いい子」になるか、全部を平均化できるほど柔軟でない子供の棒グラフはいきどころがなくなる。結果的にマイナスに伸びざるを得なくなる。こういう子供たちが学校では「悪い子」とみなされていく。

だからといって米国の教育システムをそのまま今の日本に導入しても混乱を招くだけである。子供たちをダメにした悪名高い「ゆとり教育」だって、うわべだけの米国文化を形だけを真似た結果だ。教育システムをいくら真似ても、日本社会が求める自己抑制の重要性は戦前とちっとも変わっていない。この矛盾に子供たちは混乱している。

ひとことでいえば全く違った土台にいくら似たような建物を建てても、それは砂上の楼閣になるということだ。日本流の教育の基礎を変えようがないのなら、なんとかうまく融合させ、学ぶことは手段ではないことを子供達に理解させることが必要である。そうすれば日本の子供達はもっと自分の人生がいかに可能性のあるものかを理解する事が出来る。ひいては、自分の夢を実現する場所としての日本を大切にするようになると思う。(2011/10/20)

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