オーシャンゼリゼ

 友人のジョーから電話があった。
「ある医薬候補品の評価を頼めないか。投資の判断を早急にしなければならないんだ」
おとといオハイオから帰ってきたばかりなので、米国の国内出張なら気がのらない。でもジョーの頼みを無碍に断るわけにもいかない。一応場所をきいてみる。
「パリなんだが」

「パリ!」 心が動いた。

「いつから?」

「あさってのエアーフランスおさえてある」

「おまえの頼みだ。行ってもいいよ」

うんと恩着せがましくいったが、内心はかなりうきうきしていた。

ボストンからパリまでは6時聞かかる。時差も6時間。夜7時のフライトに乗るとパリに着くのが朝の8時過ぎ。そのまま仕事に入る。時差ぼけと機中のワインが重なり、フランスでの初日の仕事はいつもかなりきつい。今回はホテルが会社の近くのシャンゼリゼにあったので、仕事前にシャワーを使えたのは幸運だった。それにしてもなんでこのホテルにはシャワーカーテンがないんだろう。シャワーも海水浴揚の屋外にあるじょうろのようなばかでかいやつだ。シャワーは上から水がまっすぐおちるだけだから、人がたつところにだけ囲いがあればいいんだそうだ。

初日は6時過ぎまで働いた。でもこの季節パリは深夜11時まで明るいから、外に出ても夜という感覚はない。しかもここでは夕食は8時から9時にとるのが普通。6時過ぎのシャンゼリゼ界隈は人通りもまばらだ。しかし時差ボケで疲労困憊の私はそんなことはいってられなかった。嫌がる友人を誘い7時すぎにレストランにはいった。ガラ-ンとした店内には客は誰もいなかった。不愉快そうな友人の顔をみて、「1週間前のオハイオのトレドでは4時半からフライドチキンの店は長蛇の列だったぜ」と巻き返したのが間違いだった。

それから延々と「なぜフランス人は遅くに夕食をとるのか、いかにアメリカ人は人生の楽しみ方をしらないか」を説教されるはめになった。そういえばフランス人夫婦を自宅に招待して「午後6時30分にきてください」といったら実に怪訝な顔をしていたことがあった。

結局食事を終えてダイアナ妃が事故死直前に食事したというホテルリッツのバーについたのは深夜だった。にもかかわらず車から次から次へと白い服をきた人たちがおりてくる。私たちも入ろうとしてベルボーイに止められた。「これからホワイトパーティーがはじまります。白い服を着た人たちだけしか入れません」というのだ。午前12時からパーティーですか。

パリジャンのすることは私には理解不能だ。ボストンの平日は9時過ぎたらゴーストタウンだというのに。日本も六本木あたりはこんなふうに時間が流れているのだろうか。一瞬遠い日本が頭をよぎった。友人は次はジョルジュファイブにある世界で一番品のあるホテルに行こうという。
「どうやっていくの」

「歩くんだよ。パリの街は歩くようにできているんだ」
10分後着いたのはなんとフォーシーズンズだった。

「おいおい。これはシカゴが本部の生粋のアメリカのホテルだよ」私は口をとがらせた。彼は意に介さない。まるで自分がオーナーのように、いかにこのホテルが世界一なのかを説明し始めた。確かにボストンのフォーシーズンズとは違う。

ウェートレスのシャンペンの開け方をみたとき思わずうなった。教科書どおり。その手さばきは芸術だった。彼は満足気に一口飲んだあと声をひそめてこういった。

「見ろよ。似つかわしくないイタリア野郎がいるぞ。」

 振り向くと見たことのある顔。シルベスター・スタローンが若い女と酒を飲んでいる。
どうでもいいが、とにかく眠い。こんな感じでパリの第一夜はふけていったのである。(2004/6/24)

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