ピーターの法則

「ピカ一のできる人物だったのに部をまかせたとたんに精彩がなくなってね」という経営トップの愚痴をよくきく。昇進システムを尋ねると、「もちろん各部で一番業績がいい人物をリストアップして、人格を加味して決定している」と自信をもってお答えになる。しかし実は原因がその選択プロセスにあることに気づいておられない。これは昇進の選択基準が、昇進後の役割や能力ではなく、もっぱら昇進前の業績によることからおきる当然の結果なのである。日本では営業成績トップの人物が営業部部長になり、手術の腕前トップが病院長になり、優れた研究業績の研究者が研究所長になるといった人事が誰も異論を唱えずまかり通っている。しかし営業成績がずばぬけた人物が必ずしも部下をうまく使えず、優秀な企業研究者が必ずしも会社の研究開発の方向性を把握できない場合も多い。天はニ物を与えずとはよく言ったものである。

このような昇進を長年つづけているとやがて会社の方針決定を担うすべての重要ポストは適切な判断ができない無能なリーダー達によって占められてしまうことになる。そしてその組織は上層部から昇進をいつも見送られてきた従業員たちによって遂行されていく皮肉な現実になる。この階層社会でよく見られる矛盾をピーターの法則という。

私の知人は3年前、ある大手製薬会社研究所の副所長に昇進した。一流大学で博士号を取得し、いくつもの新薬開発を手がけ、上司の右腕として尽くしてきた実績がこの昇進につながったわけだ。しかしほどなくこの昇格が長年かかって築いた研究者としての尊敬や信頼を地に落としてしまうことになる。理由は至極簡単で、彼の小さな弱点、極端な話べたが顕在化しただけなのである。副所長ともなれば大勢の研究者を前に話をする機会も増える。いくら周到に準備してもいったんつまずくと途中で頭の中が白くなり言葉が続かなくなる。こんなことを何回か繰り返すうちに、さらしものの自分が情けなく、絶句しながら自虐的に「にたにた」と笑うようになったそうだ。研究者として実力の出せる場所を失い、不得手なポストを任せられ、加えて「笑うアホ―マン」と不本意な陰口をたたかれている彼は「自分は昇進でサラリーマン生活を棒にふった」と嘆いている。

 これは決してまれな例ではない。「あの歳でまだ平社員だって」という日本独特の陰口は会社のポストが個人の全人格まで支配してしまうサラリーマン村社会構造をよく現している。部長や取締役のタイトルが会社ではなく自分についていると錯覚し、傲慢尊大な人格へとふくらみ、その座から転げ落ちたとたん、その落差を知り、我に返ったという先輩たちの述懐をよくきく。一方、米国では早くから組織における役割分担が積極的に行われてきた。私のまわりには50過ぎの一介の平社員がたくさんいる。しかし彼らの給料は能力や実績に応じて副社長と同等にまであげられ、周囲から‘シニアプロフェッショナル“として全幅の尊敬と信頼が寄せられるのだ。アメリカ人にとってポストは単に会社での役割にすぎない。彼らは会社のポストを社外にまで決して引きづらない。日本と大きく異なる点である。自分の得意分野で思いっきり仕事をして組織に貢献する。こんな簡単でもっとも効率的なことが日本の組織ではできないのである。(2001/2/15)

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