シューレスジョー

「シューレスジョー」(文芸春秋社)という本がある。キンセラが1982年に書いたベストセラーでご存知の方も多いだろう。話題になった小説には映画化の話が持ち込まれるが、この本に限っては例外だった。なぜかというと、当時ハリウッドにはたとえ映画化しても興行的に成功しないと言われる3つのジャンルがあったからだ。Farming(農業)、Fantasy(おとぎ話)そして Baseball(野球)。」キンセラの本にはこの要素すべてが含まれていた。だからハリウッドは振り向きもしなかった。

フイルロビンソンという若き映画人がいた。彼はこの本が出版されるとすぐ、自分自身で脚本を執筆し、ハリウッド中を奔走し、プロデユーサーとスポンサーを探した。彼はこの映画化に自分のすべてをかけていた。彼が想像を絶する苦労の末、自ら監督して映画化の夢を果たしたのはそれから6年後のことだった。1989年に封切られた、フイールドオブドリームスである。この映画は予想を裏切り、世界中で大ヒットした。

ケビンコスナー扮する中年の農夫はある時、突然天からの声を聞く。

「もしそれをつくれば、彼はやってくる」

ケビンは貧乏な農夫。毎年不作のトウモロコシ畑に今年もまともな実りがなければ、畑を手放さなければならない。経済的に絶対絶命の状態に追い詰められていた。しかし彼はこの天の声を信じ、家族友人の反対に耳を貸さず、変人扱いされながらも、やっと実をつけ始めたトウモロコシ畑を全部刈り取り野球場にしてしまう。そhしてナイター設備もつけてひたすら彼を待ちつづけた。ある日、広大なトウモロコシ畑の向こうから8人のプロ野球選手たちが現れた。もちろん彼にしか見えない。

 1919年、アメリカ大リーグのワールドシリーズは大荒れに荒れた。シカゴホワイトソックスの主力選手が八百長試合の嫌疑をかけられ、9人中8人が球界を永久追放されてしまったのだ。この中に「シューレスジョー」という愛称で子供たちに絶大な人気のジョセフジャクソンという大選手がいた。彼はある試合でホームランを打ってダイヤモンドを走っているとき、片方の靴が脱げてしまうというアクシデントにみまわれた。しかし全く意に介せず、素足のまま全力疾走でベースを走りぬけた。その一途さに人々は彼をシューレスジョーという愛称で呼ぶようになった。

そんな彼の永久追放に、全国の野球ファンの子供たちは「本当なのジョー?」と問いかけた。しかし、ジャクソンは何の弁解もせずに球界を去っていった。真相は藪の中だったが、当時の野球少年たちにはシューレスジョーの追放はとてもショッキングな出来事として心に残っていった。

ケビン扮する農夫も野球少年だったから、シューレスジョーの出現に彼は喜ぶ。やがて彼のやっていることを少しずつ理解していくにつれ、家族や友人にもこの8人が見えるようになっていく。そしてついに彼らはシューレスジョーやあこがれの選手達とこのとうもろこし球場で、かけがえのないひと夏を過ごすのである。

やがて別離の時がやってくる。その時、ケビンは球場にもう一人の青年の姿を見つける。その人こそ、今は亡き父親の若き姿だった。父親との間には確執があった。愛情の裏返しであることはわかっていても、世界で一番尊敬していた父親だったけれど、どうしても歩み寄れなかった。そうして大好きだった父親とキャッチボールもすることなく、父親は世を去っていたのだった。ケビンはこの一瞬の夏が消える前に、どうしても父親とキャッチボールをすることを望む。そしてすべてをなげうって作り上げた野球場で、生涯一度だけ父親とキャッチボールをする。

 一球ごとに長年心にわだかまっていた心の滓が消えていく。いつも父親を頼もしく見あげていた、あの子供のころの笑顔に戻っていく。この美しいラストシーンで映画は静かに終わる。

僕がこの映画を長く説明したのは、ロビンソン監督のメッセージを伝えたかったからだ。今日で僕の米国生活は18年を迎えた。この18年間のアメリカ生活、そしてそこから学んだことを彼の言葉以上に的確にはいいあらわせないと思う。

 インタビュアーがロビンソン監督に「長い歳月をかけてこれを作り上げたことをどのように感じていますか」と質問したとき彼はこう述べた。

「僕は今まで星占いも水晶占いも輪廻も、ましてや天国や地獄すらも信じたことはなかったのです。ただひとつ、この映画を作ってきた6年間これだけは確信していました。一生懸命やれば必ず夢はかなうものだと。そうして今その夢がかないました。そして私はこの映画を通じて、人間は過去に立ち戻って間違いを正すこともできるし、最終的には一生懸命やった人間が必ず勝つということも学んだのです。何かよいことが起きるように望むならただ座って期待しているだけでは足りません。行動が必要です。この作品を受動的に望みがかなうおとぎ話だと誤解している方もいますが、全く違います。主人公は夢がかなうのを座ってまっていたのではないのです。行動を起こして成就させたのです。結果的にみれば、起きる事態は必ずしも望んだとおりでない場合もあるでしょう。でも望んでいたよりももっと良い場合だってきっとあるはずです。それを信じて僕は生きてきたのです。」(2011/4/01)

 

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