すべて神のしわざ

ボストンローガン空港の国内線待合室の壁には、畳一枚ほどの大きな額に入った広告がある。そこには山高帽にダブルのスーツできめたチャーチルが、右 手でVサインをだしながらにこやかにほほえんでいる。そしてその横には「ネバー、ネバー、ネバーギブアップ」という、有名なコピーの一部が添えられてい る。

オリジナルの彼の言葉はもっと長い。

「身に危険が迫ったとき決して逃げ出してはいけない。かえって危険が2倍になる。しかし、もし勇気をもってその危険に立ち向かうなら、危険は半分に減る。だから何事があってもあきらめてはならない。勇気を失うことはすべてを失う事なのだ。」

仕事がら米国内出張が多い私は、ほぼ2週間に一度、このチャーチルの言葉に背中を押されながらボストンを飛び立っている。

1889 年、オックスフォード郊外に住むひとりの貧しい農夫が、沼地にはまり息も絶え絶えの幼児を偶然見つけ救い上げた。数日後、農夫の家の前に見事な2頭立ての 馬車が停まり、一人の上品な男が農夫の家のドアをたたいた。男はびっくりする農夫に、自分の息子を助けてくれた礼を述べ金を差し出した。しかし農夫は受け 取ろうとはしない。男がそっと家を覗き込むと、ドアのかげに7、8歳と思われる農夫の息子が立っていた。

これをみた男はとっさに「私にあなたの息子さんの教育援助をさせていただけませんか。あなたのような誇りある人に成長するお手伝いをさせてください。」と提案したのである。

こ の男の名前はランドルフチャーチル卿。沼地から助けられた彼の子供こそ、後のイギリスの首相、ウインストンチャーチルである。農夫の息子はやがてチャーチ ル卿からの教育資金でロンドンのセントマリ病院の医学部に入学した。しかし残念ながらこの医学生はチャーチル卿の期待に応えるほど優秀でも勤勉でもなかっ た。

ある夏の暑い日、この青年は寒天培養中の菌が入ったシャーレを処理しきれず、そのまま実験台に放り出して、さっさと夏期休暇に入ってし まった。2週間後、休暇から戻った彼が最初にしたことは、その実験台に放り投げてあるシャーレを洗うことだった。彼は気に止めることなく、すべてのシャー レを流し場につんだ。そして水のたっぷりはいったバケツに投げ込もうとしたそのときである。実験仲間の一人が「おい教授がくるぞ!」と叫んだ。

彼 は困った。実験の進行状況を報告しないとまた雷がおちる。彼は流し場のシャーレを実験台に戻した。そして急場しのぎに、シャーレをひとつづつ観察している ふりをはじめた。暑い夏、2週間も室温に放置したせいで、びっしりと菌が繁殖している。観察したってどうにもならない。ところが、みていく間に、ひとつだ け菌が全く繁殖していないシャーレがあることにきづいたのだ。この偶然が彼に肺炎の特効薬ペニシリンを発見するビッグチャンスをもたらすことになる。

しかし話はこれでおわらない。1943年、第2次世界大戦の真最中、連合軍を率いるチャーチルは2度肺炎に倒れる。当時の肺炎は死に至る病。誰もが絶望視するなかで彼を救ったのが、この医学生フレミングの発見したペニシリンだった。

も し、ひとの一生を早送りで覗けるなら、一人一人の人生の中に、我々は信じられない偶然の数々を発見するだろう。そしてもし、その偶然の積み重ねこそがひと の運命を導いているというのであれば、そこには「神のしわざ」ともいえる何らかの意志が介在していると感じざるを得ない。

20世紀最高にし て最後のイギリス人といわれたチャーチル。やがてくるであろう未曾有の世界危機を彼に救わせるため、神はフレミング親子にそれを託した。幼児チャーチルが 底なし沼に転落したその瞬間から、神の仕組んだ半世紀にもわたる壮大なシナリオが幕をあけた。としたら。「事実は小説よりも奇なり」奇しくも同国の詩人バ イロンの言葉である。(2006/6/25)

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