はじめに

ここ数年、読む本の嗜好がかわってきていた。山田風太郎の「人間臨終図鑑」とか、「知識人99人の死に方」、「見事な死」、柳田邦男の死に関する著作などを好んで読むようになった。以前は宮本輝や浅田次郎など、どちらかというと「生きる視点」の著作に興味があったが。最近は「どう死ぬか」に興味がわくのだ。歳のせいと思っていた。

2011年3月11日に震災がおきた。米国に住む僕は年に数回、日本に仕事で帰る。このときも仕事で高山市にいた。仙台の飛行場や港湾の倉庫が津波に飲み込まれていく様子をボオーッとしながらTVでみていた。遠い世界のできごとのようで、恐怖感はなかった。

しかし被害がが拡大するにつれ、望むと望まないに関わらず「突然の死」が身近にあることを思い知らされた。長い時間をかけて紡いできた友情、愛情、ひたむきにつみ重ねた仕事、成果、苦労してためたお金など。すべてが、まるでリモコンスイッチを切るように一瞬にしてリセットされる現実にだ。僕は身が震えた。死とはかくも残酷におとづれるものなのか。他人事ではない。それまで、自分なりに第2の人生を描き、少しづつ歩を進めてきた僕に、この震災は大きな考えの訂正を迫った。

よく考えると自分にそんなに時間は残されていないのだ。「死への準備」などというのはおこがましいが、少なくともこれ以上他人を自分の人生に巻き込むことをやめ、収束の方向に人生の舵をきり、自分自身を整理しはじめる時期がきたと判断した。大きな苦痛は伴うが、他人との関わり合いを離すことはできるだろう。問題はどうやって自分自身を整理するかだった。

僕は一応サイエンティストである。大学で有機化学、留学して薬化学を学んだ。企業にはいっても、現在に至るまで、幸いなことにずっと大学の延長で医薬品とサプリの開発をやってきた。研究者は自分の研究を論文という形でまとめようとする。一見関連がない雑多な結果や事実を人様の批評に耐えうるように系統付け、考察などを加えて体裁を整えようとする癖である。この職業病ともいえる癖をもつ僕にとって一番良い方法がブログであるということになった。しかもブログはー方通行であり他人を巻き込まない。

そんなわけで、いつもこれが絶筆と思いながら、いままでのこと、そしてこれからの自分を書き留めていこうと思う。ただ、ひとつだけ僕なりのこだわりをもうけた。家族のことは書かないというルールである。人を巻き込まない。家族も例外ではないからだ。

はじめに への1件のフィードバック

  1. NPF Admin より:

    I look forward to reading more of your blog. I think it is a great way to channel energy. I am inspired to start one as well. I am more interested in the story of how you developed supplements.

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